2017.12.20
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Ways To Be A Better Feminist―わたしがフェミニストとして持つべき責任についての話―




フェミニンに思考する、フェミニンに行動する。

 

わたしがフェミニストである理由は、「女らしさなんてクソくらえ」「ジェンダーバイアスに支配されない自由な人生を送りたい」と思ったから。とってもとっても、個人的な欲求と結びついたものだ。

 

フェミニズムに出会った18歳のころから今になるまで、その考えが変わることはなかったんだけれども、最近になって、そんな偏狭な考え方には限界が来てるんだってことに気が付き始めた。

いや、偏狭といったら語弊があるかも。女性が相変わらず差別や暴力などで阻害されていることも、男の中にも、女の中にも、ミソジニー(女嫌い)が俄然大きな顔をして居座り続けていることも事実だ。目を背けることは許されない。

とはいえ、何百年もかけて、第一線で声を枯らし、拳をあげつづけてきた勇敢なフェミニストの先達たちには敬意を払いつつも、時代の流れとともにここはひとつ、フェミニズムを新たなフェーズへと推し進める段に来ていると思う。
いや、わたしのようなちっぽけな存在が何かを始めなくとも、すでに状況は大きく変わり始めている。

 

「SHEROS」の発起人の一人、ジェニファー・アームブラストは「feminine economy(フェミニン・エコノミー)」という考え方を提唱している。これは、競争に勝つことを優先してきた従来の資本主義経済ではない、共存とクリエイティビティに重点を置いた新しい経済のモデルのことだ。

 

つまり、その考えに則って「フェミニズム」っていうものを広くとらえてみると、「女権拡大」というひとつの問題提起に収まりきるわけではなくて、「フェミニンに思考する」「フェミニンに行動する」っていう、生物学的・社会学的「女」という枠組みを飛び越えたもっと包括的なものになるはず。

今や、男性も既存の『男らしさ』を窮屈に感じるような時代だ。結局のところ、わたしたちを縛り付けてきたのは近代合理主義の中で生まれた男性優位の家父長制で、今となってはその前時代の遺物に縛られて辟易してる女と一部の男がいるっていうこと。

 

だから、「男であろうと女であろうと関係ない、フェミニズムはみんなものだ」っていう言説が最近は主流になりつつあって、エマ・ワトソンの活動「HeForShe」にはじまり、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの著作『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』や、カナダ首相のジャスティン・トルドーが2017年10月の国際女性デーに寄せたエッセイ「なぜ私は子どもたちをフェミニストに育てるのか」からもそれはうかがい知ることができる。

 

「エシカル消費」の中のフェミニズム

 

今年の6月、アッシュ・ペー・フランスには「エシカル事業部」という部署が新設された。これまで合同展示会「rooms」の中で、「エシカルエリア」として展開されていたものから派生して、企業ブランディングや、コンサルティング、エシカル催事の企画や運営などを主な事業領域にしている。

 

そのつながりで、最近わたしもようやく思考が「エシカル」という概念に慣れ始めたのだけど、「いやでもジャンクフード大好きだし…」「タバコ吸うし…」「ファストファッションのブランドで可愛いのあったら買っちゃうし…」みたいな、得も言われぬ罪悪感があって、これからの時代に必要不可欠であるとは分かっていながらも、どうにも他人事みたいに感じていた。

それが、12月12日の火曜日に、「ファッションビジネスの未来に欠かせないエシカル精神とはーサスティナビリティ思考の強い思いやりと透明性―」(一般財団法人ウィメンズ・エンパワメント・イン・ファッション)での講演を聴講し、「SDGs」という考え方に触れたことで大きく認識が変わった。

 

SDGs(Sustanable Development Goals)は、「持続可能な開発目標」と訳す。2015年9月の国連サミットで採択され、国連加盟193か国が、2016年から2030年の15年間で達成するために掲げた、全部で17を数える目標のことだ。すべての目標を並べると、下記のようになる。

 

 

目標1:あらゆる場所で、あらゆる形態の貧困に終止符を打つ

 

目標2:飢餓に終止符を打ち、食料の安定確保と栄養状態の改善を達成するとともに、持続可能な農業を推進する

 

目標3:あらゆる年齢のすべての人々の健康的な生活を確保し、福祉を推進する

 

目標4:すべての人々に包摂的かつ公平で質の高い教育を提供し、生涯学習の機会を促進する

 

目標5:ジェンダーの平等を達成し、すべての女性と女児のエンパワーメントを図る

 

目標6:すべての人々に水と衛生へのアクセスと持続可能な管理を確保する

 

目標7:すべての人々に手ごろで信頼でき、持続可能かつ近代的なエネルギーへのアクセスを確保する

 

目標8:すべての人々のための持続的、包摂的かつ持続可能な経済成長、生産的な完全雇用およびディーセント・ワークを推進する

 

目標9:レジリエントなインフラを整備し、包摂的で持続可能な産業化を推進するとともに、イノベーションの拡大を図る

 

目標10:国内および国家間の不平等を是正する

 

目標11:都市と人間の居住地を包摂的、安全、レジリエントかつ持続可能にする

 

目標12:持続可能な消費と生産のパターンを確保する

 

目標13:気候変動とその影響に立ち向かうため、緊急対策を取る

 

目標14:海洋と海洋資源を持続可能な開発に向けて保全し、持続可能な形で利用する

 

目標15:陸上生態系の保護、回復および持続可能な利用の推進、森林の持続可能な管理、砂漠化への対処、土地劣化の阻止および逆転、ならびに生物多様性損失の阻止を図る

 

目標16:持続可能な開発に向けて平和で包摂的な社会を推進し、すべての人々に司法へのアクセスを提供するとともに、あらゆるレベルにおいて効果的で責任ある包摂的な制度を構築する

 

目標17:持続可能な開発に向けて実施手段を強化し、グローバル・パートナーシップを活性化する

 

 

(出展:持続可能な開発のための2030アジェンダ採択 — 持続可能な開発目標ファクトシート、国際連合広報センター)

 

 

これまで、いろんな展示会で「SDGs」については見聞きしてきたし、エシカルなブランドの取り組みに関しても知っていたつもりだったけれど、真剣に考えたのはこれがはじめてだった。

 

この継続して取り組んでいくべき包括的な課題の中に、ジェンダーの平等というのが入り込んでいることにまずわたしは興味を持った(「男女の機会均等」という部分しか明文化されておらず、まるでこの世には異性愛という制度の元での男と女しか存在しないような書かれ方になっているのは気になるけどそれに関しては別の機会に触れるとして)。

環境保護や、労働・格差問題、国際協力、教育制度の整備などの諸問題と並んで男女同権が入っている。つまり、ものすごく短絡的な言い方をするけれど、あながち曲解しているわけでもないのは、「フェミニストと自称するのであれば、世界を取り巻く諸問題の解決にも積極的に取り組んでいくべきである」ということなのだ。

 

「これはエシカル(倫理的)か否か」という判断基準は、どんな状態にも適応しうる。人間にも、動物にも、環境にも。

なにかを買う時、たとえば、児童労働をしていないとか、生産者にしかるべき給与が支払われているかとか、環境を汚染していないかとか、動物実験をしていないかとか、そのモノの背景にあるものを気にしながらモノを選ぶことを「エシカル消費」と呼ぶけれど、その「エシカル消費」が、「フェミニンに思考する」「フェミニンに行動する」=フェミニズムの考え方に則ったものなんだ、いや、そもそも「フェミニズム=エシカル」なんだ、ということにわたしはようやく気が付いた。

 

これまで自分が「フェミニズム」を通じて考えてきたことがどれだけ自分自身のことだけだったか、いかにエゴイスティックだったかということを思い返してひとしきり恥じ入ると、わたしはふと、ハンナのことを思い出していた。

ハンナ・フシハラ・アーロン Printz Photography

ハンナが教えてくれたこと

 

ハンナは、アッシュ・ペー・フランスのスタッフだ。もともとバイヤーをやっていて、今はドッグトレーナーを主な仕事にしているけれど、それ以前に彼女はずっとアーティストで、キュレーターでもあり、というか生き方そのものがアートみたいな人だから、いつも新しい考え方をわたしたちに教えてくれる。2014年、ジェニファーと一緒に、Lamp harajukuで「SHEROS」のアート展を企画した。

今年の10月に、「青参道アートフェア」で作品を発表するために来日した時は、トークイベントも行ってくれて、そこで彼女は “What I learned about being a better feminist / activist from working with animals.”(「より良いフェミニスト / アクティビストになるために、わたしが動物たちから学んだこと」)というテーマで、ドッグトレーナとしての活動について語ってくれた。

 

ハンナの愛犬、デレク

 

彼女は、言葉も話せない、自分よりも力の弱い動物に対して、常に敬意と愛情を持って接している。それを、「同意をとる」という言葉で表現していた。英語だと「consent」となる。

 

性暴力の問題を解決する為にも、よく「同意を得る」=「嫌がっていることを無理強いしない」「互いが納得した状態で同じ意見に着地する」というアクションを推奨している活動やワークショップもあるけれど、ハンナが言っているのは、まさしくそういうことだ。

以前、インタビューに応じていただいたアクティビストの鎌田華乃子さんは、「ちゃぶ台返し女子アクション」という団体の協同発起人で、刑法性犯罪条項を改正するキャンペーンを実施していた時に草の根活動として大学で「同意について考えるワークショップ」を開催されたと聞いた。

そこで伝えられるメッセージは一貫して、「同意というのは、常にアクションを起こす側にある」ということ。相手が「NO」と言っていなくても、沈黙していても、それは同意を得たことにはならないということ。アクションを起こす側、つまり、より大きな力を行使しうる側の人間には、その力に対して「責任」が伴うってことなのだ。

 

「同意」というものの基本的な概念を理解すると、「露出の多い服装をしていた」ら、「酒の席で泥酔していた」ら性行為の同意があったと思われても仕方がない、という、日本にとっても多い被害者の非を指摘する傾向が全くのナンセンスだってことがわかる。

 

 

ハンナの話を聞いていたら、彼女はたしかにフェミニストなんだけれど、もっと根源的で、本質的なことを言おうとしているんじゃないかという気がしてきた。

彼女はアーティストであり、アクティビストであり、フェミニストであり、動物愛護者であり、ヴィーガンだ。わたしが思うに、彼女には「正義のために行動する」「誰かのために行動する」っていうぶれない行動理念があって、いつもそれにしたがってアクションを起こしているように思う。つまり、彼女の考え方はいつもエシカル(=「倫理的」)な価値基準に基づいているのだ。

 

わたしは、あの講演以降、ずっとまとまることのなかった考えを整理すべく、ハンナに疑問をぶつけてみることにした。

 

「ハンナ、SDGsって知ってる?わたしはずっと、自分のことをフェミニストだと思ってたけど…環境問題とか、そのほかの色んな問題については、どこか他人事だと思ってしまうんだよね。ハンナはどう思う?」

 

そしたら、ハンナからこんな答えが。

 

「もし、社会がもっと平等になって、人々が自分よりも弱い立場の人を搾取することなく、自然を蹂躙することがなくなって、そのSDGのチャートの中のすべてが実現されたら?それが男性的な思考と対極にある、フェミニスト社会ってことだよ。」

 

 

より良いフェミニスト(A Better Feminist)への道

 

なるほど。「フェミニスト社会」か。

ちょっと表現の仕方が極端かもしれないけれど、でも、マッチョな行動原理に則って弱い存在を虐げて搾取する社会よりはずっとましだ。社会の成熟に伴って、いま、わたしたち人間が迎えているのはそんなフェーズなのかもしれない。

 

ハンナはさらに、このように続けた。

 

「わたしたちが何かを買うっていう行為は、世の中の流通の仕組みに影響を与えるってこと。お金を使うのは、投票するのとおんなじ。なにがOKで、なにがOKじゃないのか、っていうのを意思表示しつづけるの。」

 

「たとえば、個人的にだけど、わたしは、人間がただ牛を次々と繁殖させて、牛乳を採るために生まれた子を取り上げて殺す、っていう考え方には賛同できないから、牛乳は飲まない。牛肉も子牛の肉も食べない。レザーも着ない。女として、子供を産む機能を持った人間として、もし自分が牛のように扱われたら?誰か、わたしよりも強い立場の人間がわたしのことを、わたしの身体を、わたしの能力を、ミルクを採るために好き勝手に、思うままに扱ったら?子供を産ませて、なんの了承も得ずに取り上げたら?わたしは「OK」とは言わないから、それのためにお金を使ったりしない。」

 

「これはほんの一例。でも、全部は繋がってると思ってる。

もしわたしが、インドの誰かが縫ったパジャマをニューヨークで買ったとしたら、わたしはその名前もわからないインドの人と繋がってる。わたしが買ったコンディショナーに、インドネシアの川の水で育ったヤシの木のココナッツが使われていたら、わたしはインドネシアの川の水と繋がってることになるでしょ。

流通のしくみや、製品の流れについて何にも注意を払わなかったら、人々や、環境資源を、ただ自分の都合で搾取するっていう、家父長制的な考え方に加担することになっちゃうんだよ。

「ほかのこと」(Others)について全く考えないっていうのは、フェミニズムじゃない。少なくとも、わたしにとってはね」

 

 

ハンナのメールを受け取って、しばらく考え込んでしまった。

わたしって・・・・・すっごくダメなフェミニストだ!

 

スーパーでも産地とか気にして買い物しないし、服の選び方だって適当だ。自分の考え方を平気で人に押し付けちゃうところがあるから、そもそも「フェミニンな思考」ってもの自体がないのかも。考え方はたぶん、けっこうマッチョな方だ。血の気が多いし、「仁義なき戦い」「極道の妻たち」シリーズとか、『男たちの挽歌』とか、『300(スリーハンドレッド)』とか大好きだし…。

 

「A Better Feminist」への道のりは遠い。いったいどこから手をつければいいんだろう。とりあえず、生活の中で手に取ってきたも、これから手に取っていくものを片っ端から見直すべきなんだろう。

いつも使ってるコーヒースタンドのコーヒー豆ってフェアトレードなの?このコンビニのおにぎりは誰が作ってるの?かわいいからという理由で買ったこのセーター、メイド・イン・バングラデシュって書いてあるんだけどそもそもバングラデシュってどんな国?――と、疑問は次々に湧き上がる。

 

そして、サプライチェーンの全貌を知ろうとしても、わかりやすく開示している企業があまりにも少ないことに気が付く。都会の、清潔なスーパーマーケットや外食店を訪れると、そもそも、彼らがその商品を手に入れるために何をしているのか、自分から積極的に調べないと全くわからないし、何かの認証マークがついていたとしても、そのマークが何を意味しているのかを知らなければ意味がないし。

 

いま、自分が属しているアパレル産業なんて特にそう。徐々に体質が変わってきているとはいえ、まだまだ、エシカルじゃないシーンに遭遇することが多い。そしてわたしも、微々たる影響とはいえその歯車の一部を担っているのだ。

 

最後にハンナは教えてくれた。

 

「最善の選択をするための情報が得られれば、小さくても変化を起こすことができる」

 

怖がって、小さな変化に対して尻込みしていたら、きっと道は開けない。

これまで見て見ぬふりをしてきたことに、たぶん答えが隠れているはずだ。知ろうとすらしなかったこと、知ることを億劫に思ってきたことが、あまりにも多い。

怠惰な人生を送ってきたわたしだけれど、まずは手に取るものにどんな物語が隠れているのか、思いを巡らせることから始めてみようと思っている。

 

そして、いつか、「これでいっか」じゃなくて、「これがいいんだ」「これじゃないとダメなんだ」とモノを選ぶようになったとき、わたしは今より、たぶんもっとまともな人間になれるはずだと信じている。

 

 

Chiaki Seito

Writer:Chiaki Seito

活動拠点:東京。 H.P.FRANCE 広報

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